白林檎ベースステーション

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白林檎的日常

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2004.1.8

 これといって面白いことも起きないので、久しぶりにコンタクトレンズを着けてみた。

 ぼくの右目は純然たる近視であるようだが、左目にはこれでもかというほどの乱視が入っており、とてもではないが裸眼で視力検査に望む勇気など沸いてこないほど視力が落ちている。おそらく、まともに測定したら 0.1 もないだろう。当然、眼鏡が手放せないわけだが、左目についてはもはや眼鏡ではあまり矯正出来ていないという、とても困った状況にある。もっとも、両目ではちゃんと見えているので、自動車の運転に支障はない。念のため。

 ところが、と書いて思い出したが、この「ところが」という接続詞を最も巧みに使用する作家は北杜夫であると思う。何の本だったかちょっとすぐに出てこないのだが、確かエッセイの中に書かれた会話に「ところが、ぼくはそうは思いません」というのがあって、初めて読んだ時からこれは「ところが」中の白眉であると感動したものだ。言うまでもなく「ところが」は逆接の接続詞であるわけだが、ただ逆接にしたいだけなら「だが」とか「しかし」とか、いろいろな語がある。もちろん様々な語が存在するにはそれだけの理由があるわけで、「ところが」とそれ以外の逆接接続詞との間には、決定的な差がある。「だが」「しかし」が割と平坦な逆接であるのに対し、「ところが」には驚きとか予想外といった要素が含まれているのだ。もう一度先程の例を使おう。平坦な逆接を使うと、この文は「しかし、ぼくはそうは思いません」となる。ごく普通の会話文である。ところが、ここに「ところが」を使うと、えっ、ナニ、そうなのっ? という空気が行間に生じ、途端に躍動感が増すのである。故に、この会話文は「ところが」中の白眉だと思うわけである。

 あれ。何の話をしていたんだったか。そうそう、左目のことだった。

 その左目であるが、コンタクトレンズだと素晴らしく見えるようになるから不思議なのである。ので、できればコンタクトレンズで生活したいのだが、如何せん慣れぬうちは異物感がひどい。徐々に慣らしていこうと思い、今日は二時間足らずでさっさと外してやった。明日はもうちょっと長時間の装着にチャレンジしてみよう。