白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2005.1.3

 謹賀新年。

 今年の初詣は橿原神宮へ。もう三日だから大分空いているだろうと思ったのだが、とんでもなかった。橿原バイパスを通り抜けるのにたっぷり一時間。普段ならものの数分で通過できるだろう道に、一時間。その後も嫌になるほど混んでいる。そのわりに、境内に設けられた駐車場には、案外すんなりと停められた。

 参拝道も思ったよりずっとまったりしている。昔明治神宮まで詣でた時は今晩中に帰れるだろうかと危ぶんだものだが、本殿まではすぐに着いたし、お御籤もすぐにひけたし(中吉)、守護矢もすぐにいただくことが出来た。去年の道明寺天満宮の方がよほど時間がかかったくらいである。

 まあ去年は元日に詣でたし、やはりピークは過ぎているということなのだろう。

 本年もどうぞよろしう。

2005.1.7

 あえなくぶっ潰れた近所のセブンイレブンであるが、その跡地に最近新しいテナントが入った模様である。セブンイレブンがないとどうしても昼間そちらに足が向かないので、実際に営業しているのを目撃したことはないのだが、今夜、自動車で通りかかったときにふと見た限りでは、どうやら催眠商法の店になっているようだ。ローソンが来るかファミリーマートが来るかとワクワクしながら待っていた身にはこの上なく残念な話である。

 ところで、もうすぐMac World Expoである。エントリーモデルが発表されるとか、アップル純正のオフィススイートが一新されるとか、いろいろと噂の種は尽きないが、白林檎的に最も気になるのは、新しいPowerBookかiBookが出るのかどうかという点である。そろそろ我がiBookも性能に陰りが見えてきたので、iBookなり12インチPowerBookなりが欲しいところなのだ。まあiBookは去年の秋頃に確かラインナップが一新されたばかりだから、何か発表があるとすればPowerBookであろう。

 iBookを買うにしろPowerBookを買うにしろ、ひとつ大きな問題がある。iBookにせよPowerBookにせよ、我が愛機PowerMac G4よりも確実に動作が速いということである。メインマシンとサブマシンの性能が逆転することほどマヌケな話もないのであって、かといって拡張性の格段に劣るノート型をメインにするわけにもいかず、頭を抱えることになるのは目に見えている。

 まあ最近はCPUアップグレードカードの価格がかなりこなれてきたから、それに積み替えてやれば一応の解決にはなるとは思うが、PowerPC G4の動作クロック数がそろそろ頭打ちになってきたこともあり、我が愛機もあと二年もすれば完全に時代遅れの烙印を押されてしまうことになろう。大変に苦労して手に入れたMacなので──学生の身でローンを組んで購入したのであるが、そういった金銭的負担よりも、CRTモニタとセットで電車で自宅まで持ち帰るという、大変な荒行の末に入手したことが思い出深い一品なのである。モニタは既に壊れてしまったから液晶に買い替えたが、本体は可能な限り長く使ってやりたい。

2005.1.12

 来た。来ましたよ。新製品です。それもなかなか野心的な。Mac miniは久しぶりにエキサイトなMac本体だ。そして、機能や性能、価格設定、セット内容のどれをとっても、かつてのG4 Cubeよりもずっと戦略的に正しい。メインターゲットは明らかにWindowsからのSwitchersだからだ。ぼくは既にMacユーザーなので関係ないといえば関係ないのだが、一台手元に欲しいくらいだ。一台といわず数台買い込んでサーバにしても良さそうだが。PowerPCは電力効率が良いのである。

 しかしながらiPod Shuffleのコンセプトはいかがなものかと思う。小さくなるのは良い。容量が減るのも仕方なかろう。だからといってシャッフル再生しかできないというのはちょっと首を傾げざるを得ない。世の中、シングル曲ばかりを集めて聞いている人間ばかりじゃないんだぞ。特にぼくのようなアルバムを固めて聞くのを好む向きには不評ではないかと思う。

 アルバムといえば、今日はスピッツのニューアルバムの発売日である。出遅れたが、明日にでも買いに行こう。

 Mac miniとiPod Shuffleばかりが取りざたされる今回のExpoだが、ソフトウェアも少なからず進歩している。Tigerの正式版はまだ出なかったようだが、iMovieとFilnal Cut Expressの両方がHDフォーマットに対応したのは特筆すべきことだろう。まさか一般家庭でそんなフォーマットが使われることはないだろうが、まだリニア編集を余儀なくされているような地方の弱小プロダクションなどでも導入しやすくなるだろう。まあ、そんな映像プロダクションがあるのかどうかは知らないが、「マルチメディアならMac」というかつての矜持を取り戻す第一歩になるのは間違いない。

 あー、でもノートは出なかったんだよなぁ。おとなしくiBookでも買うかなぁ。

2005.1.15

 タイタンの画像はどれもこれもエキサイティングなものばかりである。宇宙、嗚呼いいなぁ、宇宙。宇宙の話題は大好きだ。物理の授業は嫌いだったが、天文学に由来する宇宙物理学の話題(ホーキングの理論とか)は好きで、ブルーバックスなんかはよく読んだものである。理解出来ていたのかどうかは疑問だが、宇宙の広大さや気の遠くなるような歴史、不思議さに触れられているだけで満足だったのだろうと思う。

 ホイヘンスからタイタンの画像が送られている頃、旧友T.F.から留守電が届けられていた。ケータイをどこぞにほっぽり出していたのでちっとも気付かなかったのだが、何度もコールしてくれていたようだ。申し訳ないやら懐かしいやら。どうもバンド仲間で集まっているようで、K.N.とY.H.の声も聴くことが出来た。T.F.は岐阜にいると聞いたのだが、転勤にでもなったのだろうか。それとも、単に帰省していただけだろうか。

 グラハム・ベルによって電話が実用化された頃、有識者の中からはその有用性を疑問視する声も上がっていた。曰く「遠くの人間と話が出来たからといって何を得するわけでもない」「遠方とのコミュニケーションなら郵便がある」「こんなものがビジネスに成長する見込みは薄いだろう」等々。これがとんでもない見当違いだったことは、現在の我々はよく知っている。ビジネスに不可欠であることは言うまでもないし、突然遠方の友から連絡をもらえるのは何物にも変え難い幸福だ。

 電話の有用性に疑問符を付けた人々は、既存業界と少なからず関係のあった人たちだったかもしれない。例えば、当時の郵便事業。昨今のデジタル業界と著作権ビジネス業界との抗争のようなものだったろうかと想像してみる。またそれは、生態系に於ける新勢力と旧勢力の争いにも似ていたかもしれない。その収束が棲み分けによるか一方の絶滅によるか、それは決して運で決まるものではない。

 タイタンの環境は原始地球に酷似していると考えられているのだそうだ。今後どんな発見があるか、期待して待つことにしよう。

2005.1.20

 長い間尽くしてくれたiBook (dual USB)を下取りに出し、現行モデルのiBook G4を買った。白いiBookの最初の機種だから、三年半余り使ったことになる。ぼくにしては短いが、ノートはどうしても拡張性に乏しいから、パワー不足を感じたら買い替える他ないのである。大切に使っていただけあって──晩年はACアダプタがややヘタり気味であったが──ほぼ最高買取価格の満額の値が付いた。

 実はまだ梱包すら解いていないので、iBookの話はまた明日にでも。

 風呂に入ろうと電灯のスイッチを入れたら、パッと明るくなったかと思うと暗くなった。電球が飛んだのである。仕方がないから廊下の灯だけ点けて入った。これが昨晩のことで、さながら場末の旅館にでも泊まっている心持ちであった。

 今日、風呂に入ろうと相方に湯を張りに行ってもらったところで、電球を換えていないことに気がついた。しまったなぁと思ったが、どうしようもない。相方がいくつか買い集めていたキャンドルを浴室に持ち込み、五個ばかり火を灯して入ったのだが、これが案外雰囲気が出て良かった。厳か過ぎて入浴というよりは沐浴しているような気持ちになったが、それでもなかなか気に入って、一時間ばかり湯に浸かっていた。

 と、一台の電車が近くの線路を通りかかった。そろそろ終電かなぁと思っていると、唐突に電車の外部スピーカーから「まもなく〜○○(近くの駅名)、○○でございます、お降りのお客様は……」と、本来は車内に流すべきアナウンスが鳴り響いた。ははぁさては車掌がスイッチを間違えたなと聞いていると、ドップラー効果のふんだんにかかったアナウンスは終わりまできちんと続き、挙句「あっ」という車掌の声を最後に、スピーカーの音声が途絶えた。

 ぼくは当初呆気にとられていたが、急に笑いがこみあげてきて、しかしながら真っ暗な浴室でケタケタ笑うのも妖怪じみているから何とか笑いを噛み殺し、キャンドルの火を消して風呂から上がった。