白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2004.7.2

 梅雨だというのにちっとも雨が降らない。降ったら降ったで憂鬱なのだが、こうも空梅雨だと心配になる。一方で静岡では記録的な大雨が降ったというし、年々気候がおかしくなっているように感じるのはぼくだけではあるまい。

 少し前の話になるが、国語審議会だかが外来語の言い換えを検討し、その中間発表をしていた。「コンピュータ」が「電子計算機」に言い換えられるアレである。データベースやオンラインといった語には適切な訳語が見つからず、言い換えはしないということになったそうだが、これは当然のことで、ビーフカレーとかミディアムレアとかいった言葉にしっくりくる訳語がないのと同様である。言葉を輸入するというのは、単に文字や音の羅列を国語に組み込むということではないからだ。

 本質的には、新しいモノや概念がまず入ってきて、言葉はいわばそれに付随してやってくる。もともと似たような概念なり物品なりが国内に存在していればそれらしい訳語も生まれるだろうが、そうでない場合には外国語を音写し、外来語として取り込むのが普通であるし、理にかなってもいる。別に無理して訳語を探す必要はない。

 もっとも、過剰に外来語が増えるのもいかがなものかとは思う。上の説明に照らし合わせれば、過剰・不要と感じるのは、その外来語によって表現されるものがもともと国内に存在し、名前もきちんとついているからである。コンセンサスとかユーザビリティとか。この辺を整理するということなら、それなりに意義深い仕事であるといえる。

 でも「ボトルネック」が「障害」ってのはどうかなぁ。「困難」とか「難所」くらいが個人的には適当な気がするのであるが。あと「デフォルト」は「初期設定」よりは「初期状態」の方が正確であると思う。何だよ、設定って。

2004.7.3

 妖精現実経由。マイクロソフト系のサイトが、IEよりもMozilla Firefoxを使うよう推奨する記事を掲載したそうである。例のバグ騒ぎに関連してのことのようだ。当該記事はMSN Slateというポータルのごときサイトに載ったという。なかなか画期的なことだ。

 マイクロソフトは大きな会社だから、部門ごとに発言が食い違う事はときどきあり、例えばMac部門が「Windows版の製品よりずっと使いやすい」などと宣伝を打つなどは日常茶飯事である。しかしここまで名指しして自社製品を批判したのは初めてのことではなかろうか。実にマイクロソフトらしからぬ勇気ある決断である。某自動車メーカーにも見習ってほしい。

 Macの話題ではTigerとiMacが今最も熱い。AirTunesも熱い。というか、この前WWDCがあったばかりだから、大抵のものは熱いのだが、中でも注目に値するのはやはりTigerが64-bit対応を果たした事であろう。ついにPowerPC G5の本領を発揮できるOSがやってくるのだ。来年だが。

 扱える情報量が飛躍的に増えるおかげで、映像方面では短いクリップならすべてオンメモリで扱えるし、音楽方面ではソフトシンセの同時発音数が数倍になる。3Dモデリングやレンダリングでも相当な速度向上が見込めるし、プログラムのコンパイル速度も呆気にとられるくらい速くなっていることだろう。クリエイティブな現場にとって、この技術革新は何よりもありがたい。

 や、G5買わなきゃ享受出来ないンすけどね。

2004.7.4

 ぼくは文系人間であるので、数学や物理、化学といった科目とはとんと御縁がない。理系科目で何とか人並みに点数を取る事が出来たのは生物くらいのもので、他はもうサッパリであった。

 高校が附属校であったので受験勉強などという七面倒なものはする必要がなかったが、逆に必要以上に濃い授業はいくらもあった。例えば世界史の教師は新年度に教室へ登場するなりモンゴル語で自己紹介を開始した。これは彼女の専門が古代東洋史であることに関係があるらしいが、その授業は中世までしか進まず、それも東洋史の領域を出る事がついになかった。日本史などは最初の授業で戦国時代以外は扱わぬと宣言されたし、生物は一年かけて遺伝だけを延々と深く掘り下げる授業であった。英語に至っては文部省指定教科書を開いた事が三年間で一度もなく、『二都物語』原書を読解したり、来る日も来る日もTOEICもどきのテストをする年度もあった。

 このようなどちらかというと「学問」に近い雰囲気は好きだったし、それに携わる教師たちにしても、学者をホウフツとさせる妙ちくりんさ──などというと学者諸氏に怒られるかもしれないが、専門家であるが故の一種マニアックな人柄は、思春期のぼくにとって人生観を変えるに充分な興味深さを伴って目に映じたものだった。

 その中にあって生物以外の理系科目は比較的きちんと教科書通りに授業が進められていた。高校二年生のときの担任が化学の教師だったために、化学の授業はことさら念入りに行われたのであるが、残念ながらぼくに限ってはほとんど意味を成さなかったと言ってよく、今もって記憶に残っているのはせいぜい元素周期表の記憶術くらいである。「水兵リーベ」のあれである。文系であるので、こういう暗記ごとに関しては理系であっても苦にならない。

 随分長い前フリであったが、というかこれが前フリであることに人は驚くかもしれないが、結局ぼくが言いたい事は、ヘンな覚え方の続きが気になって仕方がないということである。

 あと、このM.K.さんの日記からリンクされている元素の擬人化も、面白い試みであると思う。いや、真面目に。

2004.7.10

 連日気が狂ったような暑さが続く日本列島だが、今日は久しぶりに雨が降った。もっとも慈雨というには少々度が過ぎており、東海道新幹線はじめ交通機関に影響が出ているばかりか、先ほどから雷がゴロゴロいっており、あまつさえ時折電気が瞬断する。サージ防止機能付きUPSを入れているから滅多なことにはならないとはいえ、あまりいい気分ではない。

 先日のモヤモヤが晴れたところへ、またあらたな疑問が降って湧いた。しかし「今度は書かない」と先に釘をさされてしまった。仕方がないからこれはあきらめることにする。

 語呂合わせといえば『動物のお医者さん』にも暗記で苦労する話があって、その中で漆原教授が「名作だけが生き残れるのだ」と発言している。語呂合わせの中にはとても面白いものがいくつかあるけれど、語り継がれているもの全てがそうではなく、彼のいう「名作」は必ずしも面白さだけを尺度としているのではないことには注意する必要がある。『動物のお医者さん』に登場するものの中でも「フースフフースフス」などはその意味するところすら不明であるが、妖しげな迫力があり、頭に残ってしまう。つまるところ最も重要なのはインパクトであるといえよう。ボキャ天用語でいえば「バカパク」がベストで、その次が「インパク知」ということになる。

 これは広告コピーについても同じことが言える。が、語り始めると長くなってしまうので、今日のところはこのくらいにしておこう。

2004.7.13

 その場所はもはやぼくの愛したアキバではないようである。何年か行かない内にそんなことになってたとはなぁ……_| ̄|○

 時間と資本主義は無情なものだ。