白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2006.2.24

 荒川選手金メダル獲得につきこれよりサントリー北杜で祝杯をあげるのであるがこの北杜というラベルを見るたびに「夫」を書き加えたくなったりマンボウが海中を物凄い速さで泳ぎ回っている様を想像してしまうのは決してぼくだけではないと信じているというかそもそもサントリー商品企画部か何かに北杜夫のファンがいるに違いない。

 それにしても荒川選手の演技は見事だった。パーフェクトというのはああいうのを言うのであろうと感嘆したが、本人は一部に不満があるようで、インタビューでそのような談話を残した。ずいぶん贅沢な話だなぁと聞いていたのだが、某所で2004年世界選手権での荒川選手の演技を見る機会があって、比べると確かに今大会の演技はそれよりは劣るようだ。といっても、もちろん比較すればの話である。トリノの大舞台で素晴らしい演技を披露した彼女の力量には一点の曇りも見当たらない。多分。専門家が見たらまた違うのかもしれないけれども。

 乾杯。

2006.2.23

 トリノオリンピックのせいで微妙に寝不足の白林檎である。今夜は女子フィギュアスケートのフリーである。NHKの前番組を見ていると、四回転が云々と解説者が話しているが、少し前まで三回転ジャンプが騒がれていたというのに随分進歩の早いことだ。もう十年もすれば六回転くらいいきそうな勢いである。

 今回、日本勢はどうもパッとしない。まあこういう大会もあろう。そんな中、女子フィギュアだけは期待できる。らしい。ぼくもよく知らない。とりあえずフリーが始まる前の段階で、かなり上位に食い込んではいるようだ。

 ぼくが好きなのはカーリングと、スキーのエアリアルである。前者は頭脳戦が、後者は一瞬の緊張感が良い。

 フィギュアスケートも華やかで面白いけれど、点数の意味がいまいちよくわからない。そもそも得点が必要なのかどうかもよくわからない。ただ、フィギュアスケートにしろ新体操にしろ、美とかそういったものをうまく抽象化・数値化している例のひとつではあると思う。

 それにしても、地球というのは本当に丸いのだなと思う。今年はサッカーのワールドカップも似たような時差で放送される訳だが、何とかならないものだろうか。

2006.2.12

 今朝、所在なげにテレビのチャンネルを回していたら、戦隊モノをやっていた。懐かしいなぁ、まだやってるんだなぁ、こんなに朝早くから放送してたっけなぁなどと思いながら、つれづれなるままに眺めていたのだが、どうも様子がおかしい。戦隊モノなのに魔法が大活躍という、お子様向けSFと魔法ファンタジーがマッチしてしまった微妙なテイスト。

 しかも隊員がやたらと多い。と思ったら、その中の五人は兄妹で、さらに二人は彼らの両親であるらしいことが判明。

 どこの特番だ、それは。

 どうやら家族愛がテーマであるような雰囲気だから(三分間しか見ていないので違うかもしれないが)そういう設定にしているのだろうが、いくら何でも無茶というか、何というか。科学戦隊の流れを組む作品に家族愛と魔法を融合するという際どいほどに斬新な企画が、重役会議を通過したのが不思議でならない。よほどプレゼンの上手いスタッフが発案者の中にいるのだろう。その力量には正直感服せざるを得ないが、そういう能力はもっと有効に活用してほしいものである。

 ちなみに、今日で最終回だったようだ。あまりにアレなので打ち切られたのかと思ったが、ちょうど一年くらいは放映していた模様である。ぼくには電波が強過ぎたらしく頭が痛くなったが(いろんな意味で)、一年も続いたということは、それなりに人気があったのだろう。テレビ視聴者は案外懐が広いものだと思った。

2006.2.2

 夕方、猫にカリカリをあげていたら、一匹足りないことに気付き、それからは上を下への中騒ぎであった。大騒ぎまではいかなかったもののちょっとした騒ぎでは収まらなかった、という意味である。散々探し回った挙句、タンスの引き出しで寝ているところを発見した。本人、というか本猫は、至って涼しい顔をしている。ヤレヤレである。

 そういえば『動物のお医者さん』でも猫が隠れる話があった。ハムテルの家のミケが隠れるのである。猫はとにかく小さいところへ入りたがるという描写があって、そうそう、食器棚とかに入るよね。タンスにも入るなぁ。などと読んだ当時は笑っていたのだが、人間、慌てるとそんな小さな記憶などはどこかへ行ってしまうようだ。

 iTunes Music Storeに中島みゆきが全曲入ったので、思わずアルバムを一枚と、それには収録されていない一曲を購入。最近iTMSにいくら使ったかわからない。曲のダウンロードショップがここまで魅力的だとは思わなかった。ぼくが破産したらアップルのせいだと思って良い。

2006.1.24

 一月から随分と騒がしいものである。こう立て続けに事件があると何だかひとつひとつの事柄がどうでもよくなってしまいそうだが、ヒューザーといい東証といい楽天といい牛といいライブドアといいヤマハといい、どれもこれも看過しようにも難しいものばかりであるから、当分は新聞もネタに事欠かぬことだろう。

 個人的に堀江さんはイケニエにされたと思っているので、その点では彼に対する同情を禁じ得ない。しかしながら決算の粉飾などなど、やることはやっているらしいので、その分だけは罪を償わなければなるまい。而して、左様な結論でライブドア事件の幕は降ろされるべきである。真に糾弾されるべき人間は、うまく隠れたつもりで、今頃はストーブにでも当たっているに違いないからだ。

 ところで、映画『スウィングガールズ』を観た。そしてひとつの真理を得た。すべての人間は二種類に分けられるということである。すなわち、スウィングガールズにハマる者とハマらぬ者である。ぼくは前者で、しかしハマったどころの騒ぎではなく、レンタルした翌日にアマゾンでスペシャルエディションのDVDとサントラを注文したくらいのハマりようである。人はかような行為を愚行と呼ぶが、それが何だ。今更スウィングガールズかよと嘲笑する者もいるだろうが、その嘲りは甘んじて受けよう。ぼく自身、もっと早く観たかったと思ったくらいだからである。

 学生時代には、誰しも閉塞感を多かれ少なかれ感じるものだ。もし学生社会の中に在る自分の場所が普通より少し広かったとしても、上方には必ず天井があって、周りには壁が屹立している。その小さな世界の真ん中に座っていると、時としてどうしようもない空虚感に呵まされる。

 放課後というのは、その虚ろな空間を少しずつ埋めるための時間ではなかったろうか。この映画はそんな学生時代の景色を見事に表現している。

 DVDは明日辺り届く予定である。届いたら、早速鑑賞する予定。これで、えーと、何回目の鑑賞になるか忘れたが、とにかく楽しみでならない。