白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

トップページに戻る  白林檎にメール

日記オプション



2005年1月
1
2
4
5
6
8
9
10
11
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31



2005年2月
1
2
3
4
5
7
8
10
11
12
14
15
16
18
19
23
24
25
27

2005.2.1

 大寒波襲来である。カンパなら大歓迎だが寒波は大嫌いだ。天候に文句を言っても仕方がないのはわかっているが、嫌いだという感情だってどうにもしようがない。だって、寒いじゃないか。

 夜、自動車のエンジンをかけた後でふと車外気温計を付けてみたら、零度であった。この気温計は大体において1度ほど誤差があるので、それを加味すると氷点下1度ということになる。なんともふざけた話である。

 こういう寒い夜にはフロントガラスに霜が降りているものだが、今晩はそのようなことはなかった。ただ少し埃が付いていたので、ワイパーをかけようと何の気なしにウォッシャー液を吹きつけたところ、けしからぬことにガラスについたウォッシャー液がたちまち凍りついた。ワイパーをかけてもガリガリいうだけで、一向に視界が開けない。ぼくは憤慨し、降りていって──まだ発進せず駐車場での出来事だったので──フロントガラスを直接拭いてやろうかと思ったが、ドアを開けたところさっと寒風が吹き込み、ようやく暖まりかけていた車内が瞬時にして冷えきってしまったため、ワイパーに任せておとなしく待つことにした。人間、一時の感情に任せて行動してはいけない。さもないと風邪をひくなどの憂目にあう。

 とはいえ、全国的にみればこの辺はかなりマシな部類に入るようだ。灘で玉突き事故が起きたり、福岡ですら吹雪いていたにも関わらず、朝こそ少し雪がちらついていたものの昼にはすっかり融けていた。

 ジャストシステムが松下との裁判に負けて、一太郎と花子の販売差止命令をくらったそうである。一太郎にはPC-9801時代に大変な世話になったものだが、もはやATOKすら使っていない身としては、ほとんど他人事である。しかしながら優秀な国産ワープロが消えてしまうのは日本のIT業界にとって痛手以外の何物でもない。

 松下も何を考えて左様な訴訟を起こしたのか知らないが、ここらで勘弁してやってほしいものである。

2005.1.28

 毎年しつこいようであるが、この時期はMacintoshの降誕祭シーズンである。1984年1月24日、スティーブ・ジョブズの今も変わらぬ得意げな笑みと共に、後にMacintosh 128Kとして知られるオリジナルMacが、大衆の前に姿を現したのだ。発表セレモニーや、一度だけしか流されなかったTVCMなど、今やほとんど伝説として語り継がれているMacintoshの誕生の瞬間である。もっとも、そのインパクトの割にはスペックがイマイチだったというオチも付いていた。その後、アップルはすぐにメモリを512KBに増強したモデルを発売している。

 1984年といえばロス五輪のあった年で、ぼくがまだ六歳頃の話である。JRは国鉄であったが、一万円札が聖徳太子から福澤先生に変わったのはこの年だ。確か、中途半端に新しもの好きな父が、発売されたばかりのファミコンを買ってきたのもこの頃だ。CDはまだ出たか出ていないかの頃で、コンポといえばレコードとカセットテープ。ビデオデッキはそろそろ各家庭に普及していたかもしれない。

 Macの発表劇は当然アメリカで行われたことで、ネット中継はおろか衛星放送すらなかった当時、日本のコンピュータマニアがその様子を知る術は皆無に等しかったことだろう。いくつかのマイコン雑誌が特集を組んだりなどしたらしく、情報自体は入ってきていたようなことは聞いたが、「なんかグラフィカルらしい」「なんか合成音声で自己紹介したらしい」といったことがいくら言葉を尽くして誌面になっていようとも、半信半疑だったのが当時のマイコン少年(謎)たちの正直な心境だったのではなかろうか。そして同時に激しい憧れをかきたてられたことだろう。

 最近、この発表会の映像が、デジタル化されて公開された。スラドで話題になっていた。何でもずっとベータで(ベータというのが泣かせる)保存していた人がいて、何とかいう会社がそれを発掘し、デジタル化したのだそうである。当時マイコン少年だったとおぼしき人々が感動の涙にむせいでいた。

 まがりなりにも林檎好きを自認している白林檎としても、これは見ないわけにはいかない。BitTorrentなんぞを初めて使い、この貴重な映像を鑑賞させてもらった。もうね、これはもう、Mac使いなら一度見ておいた方が良い。いかに宗教的と言われようと、自分の愛用するコンピュータの祖先が生まれた瞬間を、我と我が目で確かめることの感動は、筆にもキーボードにも尽くし難い。

 英語サイトの上にBitTorrentが必要であるが、リアルプレーヤーがあればストリーミングでも見られるようだ。蝶ネクタイの似合わぬ、若き日のスティーブ・ジョブズを拝めるだけでも、この動画は一見の価値がある。是非に。

2005.1.24

 しばらく前からごろごろ水がなくなっていたので、仕事をある程度片付けてから、午後から天川へ行った。ただ、実を言うとあまり気が進まなかった。天川村の近辺は標高が高く、ひょっとしたら雪が積もっているかもしれないと思ったからである。しかしごろごろ水がないと死ぬ──ということはないが、ちょっと困るし、二月ともなればますます寒くなるだろうから、今の内に汲んでおいた方がよかろうとも思っていた。

 一昨日くらいまで近畿中南部は天気があまり良くなく、つまり雨が降ったりなどしていた。大阪は雨で、奈良も雨だったろうが、標高が高くなればすなわち雪になるのであって、実際、奈良でも山の上の方は雪が降っていたらしい。だが昨日から今日にかけては太陽が顔をのぞかせていたし、比較的暖かかったから、少々の雪くらいなら今日の午後には融けているだろうと考えた。道端に雪かきのあとの山くらいは残っているかもしれないが、いくらなんでも道路にまで残っていることはなかろう。

 そのようなわけで自動車を走らせること二時間弱、天川村に到着。

 ……積もってるし。。。_| ̄|○

 しかも早々と路面がところどころ凍結している。それでも何とか村内を恐る恐る走っていったが、水汲み場の700mほど手前からはもはやチェーンがなければ走行不可能な路面状態となり──何しろブレーキをかけても止まらぬくらいにタイヤが滑るのだ──撤退を余儀なくされた。登るくらいなら出来たかもしれないが、100kg近く水を積んであんな道を下ってくるような蛮勇は生憎持ち合わせていないのである。

 相方の弟が先日からアメリカに留学している。そろそろ生活も落ち着いてきたようで、英訳された日本のマンガを買ってみたりなどしているそうだ。だが価格が高く、しかもほとんどのマンガで巻が揃っていないなど、あまりマンガ事情が良いとは言えないようである。

 そのようなマンガ事情の中、サムライものだけは圧倒的な品揃えを誇っているらしい。親日的と言えなくもないが、日本へ観光に来たアメリカンがThere are no SAMURAIs!!!! などとアメコミ風に叫び出しやしないかと心配でならない。

2005.1.20

 長い間尽くしてくれたiBook (dual USB)を下取りに出し、現行モデルのiBook G4を買った。白いiBookの最初の機種だから、三年半余り使ったことになる。ぼくにしては短いが、ノートはどうしても拡張性に乏しいから、パワー不足を感じたら買い替える他ないのである。大切に使っていただけあって──晩年はACアダプタがややヘタり気味であったが──ほぼ最高買取価格の満額の値が付いた。

 実はまだ梱包すら解いていないので、iBookの話はまた明日にでも。

 風呂に入ろうと電灯のスイッチを入れたら、パッと明るくなったかと思うと暗くなった。電球が飛んだのである。仕方がないから廊下の灯だけ点けて入った。これが昨晩のことで、さながら場末の旅館にでも泊まっている心持ちであった。

 今日、風呂に入ろうと相方に湯を張りに行ってもらったところで、電球を換えていないことに気がついた。しまったなぁと思ったが、どうしようもない。相方がいくつか買い集めていたキャンドルを浴室に持ち込み、五個ばかり火を灯して入ったのだが、これが案外雰囲気が出て良かった。厳か過ぎて入浴というよりは沐浴しているような気持ちになったが、それでもなかなか気に入って、一時間ばかり湯に浸かっていた。

 と、一台の電車が近くの線路を通りかかった。そろそろ終電かなぁと思っていると、唐突に電車の外部スピーカーから「まもなく〜○○(近くの駅名)、○○でございます、お降りのお客様は……」と、本来は車内に流すべきアナウンスが鳴り響いた。ははぁさては車掌がスイッチを間違えたなと聞いていると、ドップラー効果のふんだんにかかったアナウンスは終わりまできちんと続き、挙句「あっ」という車掌の声を最後に、スピーカーの音声が途絶えた。

 ぼくは当初呆気にとられていたが、急に笑いがこみあげてきて、しかしながら真っ暗な浴室でケタケタ笑うのも妖怪じみているから何とか笑いを噛み殺し、キャンドルの火を消して風呂から上がった。

2005.1.15

 タイタンの画像はどれもこれもエキサイティングなものばかりである。宇宙、嗚呼いいなぁ、宇宙。宇宙の話題は大好きだ。物理の授業は嫌いだったが、天文学に由来する宇宙物理学の話題(ホーキングの理論とか)は好きで、ブルーバックスなんかはよく読んだものである。理解出来ていたのかどうかは疑問だが、宇宙の広大さや気の遠くなるような歴史、不思議さに触れられているだけで満足だったのだろうと思う。

 ホイヘンスからタイタンの画像が送られている頃、旧友T.F.から留守電が届けられていた。ケータイをどこぞにほっぽり出していたのでちっとも気付かなかったのだが、何度もコールしてくれていたようだ。申し訳ないやら懐かしいやら。どうもバンド仲間で集まっているようで、K.N.とY.H.の声も聴くことが出来た。T.F.は岐阜にいると聞いたのだが、転勤にでもなったのだろうか。それとも、単に帰省していただけだろうか。

 グラハム・ベルによって電話が実用化された頃、有識者の中からはその有用性を疑問視する声も上がっていた。曰く「遠くの人間と話が出来たからといって何を得するわけでもない」「遠方とのコミュニケーションなら郵便がある」「こんなものがビジネスに成長する見込みは薄いだろう」等々。これがとんでもない見当違いだったことは、現在の我々はよく知っている。ビジネスに不可欠であることは言うまでもないし、突然遠方の友から連絡をもらえるのは何物にも変え難い幸福だ。

 電話の有用性に疑問符を付けた人々は、既存業界と少なからず関係のあった人たちだったかもしれない。例えば、当時の郵便事業。昨今のデジタル業界と著作権ビジネス業界との抗争のようなものだったろうかと想像してみる。またそれは、生態系に於ける新勢力と旧勢力の争いにも似ていたかもしれない。その収束が棲み分けによるか一方の絶滅によるか、それは決して運で決まるものではない。

 タイタンの環境は原始地球に酷似していると考えられているのだそうだ。今後どんな発見があるか、期待して待つことにしよう。